100年の時を経て、四天王寺と地元企業・地域のつながりを紐解く。聖徳太子1400年御聖忌 森下仁丹×四天王寺タイアッププレスツアーを実施しました。

森下仁丹株式会社は今年7月30日(金)、創業者の森下博が寄進した天井画が残る大阪市指定有形文化財の大鐘楼「英霊堂」などを巡るプレスツアーを聖徳太子1400年御聖忌を記念し、和宗総本山四天王寺と共同で実施しました。

四天王寺境内北側に位置する大阪市指定有形文化財「英霊堂」は今から100年前の聖徳太子1300年御聖忌事業の一環として、1903年(明治36年)の内国勧業博覧会を機に建立された当時世界一の大鐘楼(頌徳鐘楼)です。

この大鐘楼の巨大な天井画一式は、当社の創業者 森下博が寄進したもので、「大阪に世界一のものを作ろう!」という人々の想いや気概、四天王寺と森下仁丹をはじめとする地元企業や地域の繋がりが見て取れます。

森下博氏が寄進されたプレスツアーでは、識者として大阪商業大学公共学部公共学科 教授の明尾圭造先生を招き森下博が寄進した「英霊堂」の天井画「雲龍図」を描いた近代大阪画壇を代表する画家湯川松堂についてお話しいただき、四天王寺勧学部勧学課 文化財係主任 学芸員の一本崇之氏に、天井画に捺された巨大な落款印をはじめとした現存する実物資料について解説していただきました。

■英霊堂外観:四天王寺提供

■英霊堂外観:四天王寺提供

■雲龍図(赤外線カメラで撮影):四天王寺提供

■雲龍図(赤外線カメラで撮影):四天王寺提供

■英霊堂にて:瀧藤執事長と森下

■英霊堂にて:瀧藤執事長と森下また、四天王寺執事長 瀧藤尊淳様と当社代表取締役社長 森下雄司による対談「四天王寺と森下仁丹、それぞれが継承する精神の共鳴」を行い、当時から引き継がれる「社会奉仕」の精神や、背景、現在の活動についてそれぞれの視点で語りました。

瀧藤執事長は「先人が力を合わせて聖徳太子のご精神を存続させてこられたように今後も地域や社会の皆様のお力も頂戴しながら「四箇院の制」に基づく教育・社会福祉への取り組みを継続したい」、森下雄司は「四天王寺様とは立ち位置こそ異なるが、産業の担い手である一企業として社会に必要とされる存在であり続けたい。

本業である人々の健康に資する製品・サービスのご提供という役目を果たすと同時に報恩の精神「済世利民」の気持ちを大切に、何らかの形で社会に報いるという思いを持ち続けたい」と締めくくっています。

■釣鐘の寄付を募るチラシ

■釣鐘の寄付を募るチラシ

■明治41年ごろの鐘楼:四天王寺提供:四天王寺提供

■明治41年ごろの鐘楼:四天王寺提供:四天王寺提供

■プレスツアーの様子

■プレスツアーの様子

■英霊堂の天井画を見上げる

■英霊堂の天井画を見上げる

■落款印:四天王寺提供

■落款印:四天王寺提供

■対談会場入り口

■対談会場入り口

■対談の様子

対談の様子

社名:森下仁丹株式会社
代表:代表取締役社長 森下雄司
創業:1893年(明治26年)2月
設立:1936年(昭和11年)11月
主な事業:医薬品、医薬部外品、医療機器ならびに食品等の製造および販売
URL:https://www.jintan.co.jp/
業祖 森下博が「社会への奉仕」を信念とし、1893年の創業来、人々の健康や豊かな暮らしの一助となる製品をご提供して参りました。

当時、懐中の総合保健薬(当時は赤大粒仁丹)として開発し、その後は口中清涼剤として親しまれる銀粒の「仁丹」(現在は医薬部外品 販売名:仁丹N)、その製造から着想を得て独自に開発し事業領域を拡大しつつある「シームレスカプセル技術」とこれまでの生薬研究の蓄積と独自技術の確立・育成を通して、幅広い領域で企業活動を行なっています。


コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください